日常のなかで、空腹とおなじように頭痛や胃痛がおこるし、ごはんを食べるのと同じように頭痛薬や胃薬をのむ。もう随分とそういうふうに生きていて、慣れてしまったし、年月が経つ体感速度は年々はやくなっていくし、この人生が終わるまで、もうこのまま薬を飲みながらやり過ごせばいいや、という気持ちでいる。
余生をいきている。という気持ちが、ある時からずっと自分のなかにあって、本当の本当のところは殆どすべての事がどうでもいいから、どうせならば面白くなるように日々を過ごしていこう、という方針でいる。いちばん大切なのは生きていく、ということで、それはつまり生きるという選択を常にじぶんに課し、生きるための理由を日々のなかでひとつひとつ摘んでいく作業があるわけだけれども、その意味で、芝居を始めたことはとてもよかったなと思っている。芝居は面白い。一回一回きちんと終わりながら、それでいて答えがないから終わりがない。そのいっ時、自分ではないものとして他人と深く関わり、終わればすっと遠のいていく感じもいい。こちらが向上をのぞむ限り、まったくもって退屈することのない世界だなと思う。
わたしは退屈がこわい。退屈というのは、恥をかかずに生きることだ。退屈の先にあるのは、傲慢か死だ。退屈するくらいならば、恥を抱えて穴を掘りたい。
ひとつの世界に身を置くと、憧れがうまれる。わたしはそもそも性質が単純であるゆえ、あの人みたいな演技が出来たらいいなとか、あの団体の作品に出てみたいなとか、すぐ思う。そういう生々しい感情は、日常に緊張感を与えてくれるし、願いが叶ったときには、生きていてよかったなという気分になる。これが本当にありがたい。こういうことの繰り返しで時間が流れていったら、とても健やかであるなあと。そうありたいなあと。願っている。願っています。