100冊読書・006 BRUTUS「STUDIO BRUTUS SUPPLEMENT BOOK TO 2017-2018 A/W FASHION ISSUE」

雑誌ブルータスの付録の冊子。これをカウントするか迷ったけれど、読書体験として明らかに「本」としての質量があったのでカウントすることにした。

ここはSTUDIO BRUTUS。ファッションデザイナーやスタイリスト、俳優や哲学者、写真家、ジャーナリスト、さらに芸人までもが集い、ファッションにまつわるカルチャーや身体論、経済、もの作りについて語る場所。

と語られているとおり、さまざまな角度からの面白い対談が載っている。
北村道子(スタイリスト)×池松壮亮(俳優)/栗野宏文(ユナイテッドアローズ)×千葉雅也(哲学者)/成山明光(ギャラリスト)×七種諭(写真家)/鈴木親(写真家)×林香寿美(i-D Japan)/野村訓市(編集者)×土井健(PROPS STORE)/柏崎亮(ファッションデザイナー)×森達也(ドキュメンタリー作家)/山本康一郎(スタイリスト)×秋山竜次(芸人)

わたしは服を着ることが好きだし、いわゆる「ファッション」という分野に関心が高いほうだと思うけれども、それがつまりどういうことなのか、こんなにも掘り下げて考えたことはない。黒い服を着ること、色のある服を着ること、海外に憧れること、憧れないこと、なにかを演じるときの服、オリジナルとは何か、「似合う」とは何か。ふだん感覚的に捉えていることに、その道のプロが文脈と論考をくわえて語り合っていて、なるほどなるほどと興味深く読みながら、じぶんのファッションとの向き合い方を再確認したりした。

100冊読書・005 筒井康隆「家族八景」

筒井康隆の小説を読みたい、とふと思って。小説ではない「創作の極意と掟」はタイトルに惹かれて読んだことがあるのだけれども、さて肝心の小説を読んだことがないぞと思って、手にとってみたのであった。

わたしの友人にホリユウキという人がいて。このひとは俳優なのだけれども、以前話したときに「筒井康隆が好きです」と言っていたことを思い出して、「読み易いやつ一冊と、ホリさん的にコレゾ筒井康隆というやつを一冊教えてほしい」とお願いしたら、「読み易いやつ」と「コレゾ筒井康隆」にくわえ「僕が好きなの」の三冊を紹介してくれた。ホリさんはプレゼン上手でとても興味を喚起されたので、とりあえず三冊すべて読もうと思っている。手始めの一冊「家族八景」は「読み易いやつ」で、たしかに読み易かった。

むかし「七瀬ふたたび」というドラマを観た記憶があって、そのシリーズだな、と思ってページをめくり始めたけれど、ドラマの印象とはぜんぜん、全く違ったというか、当たり前といえば当たり前だけれども、あのドラマは、小説家としての筒井康隆のやりたかったこととは、なんというか、無関係な作品だったのだなと思った。「家族八景」は、ひとの精神世界を文字で表現することに意義をおいて書かれた作品だと感じた。「エスパーの少女」という設定はキャッチーではあるけれども、そこが第一義ではないのだなという印象。

ひとの心理を主観的な文脈をもって描くことは小説の常であるけれども、この作品には本来曖昧であったり矛盾があったり断片的であったりする人間の精神世界にそのまま文字でもって輪郭を与えようという気概があり、そこに心理学をベースとした心的機構の表現を並行させることで、「家族八景」というタイトルどおり、それぞれの家族、登場人物のあり方をたいへん小気味よく、客観的に、解像度の高い景色として記述されていた。主人公七瀬の心理描写が最小限にとどめられているのも、無駄な湿っぽさがなく、からりとしていて好感がもてた。

しかし率直な感想として、とくべつに面白かったかどうかは微妙なところだ。発表当時に読んでいたら、この表現の在り方に鮮烈な感動があったのかもしれないけれど。いかんせん、作家自身の、小説というジャンルへの探究心と、筆力への自信、のようなものが読んでいる間じゅうチラついて、それはそれで悪くはないが、チラつくなあ、と思いながら読んだ。なんだかギラギラしているというか。これ書いてる人きっと精力旺盛なんやろうなあ、と折に触れ思わされたという感じ。とりあえず、ホリさん的「コレゾ筒井康隆」と「僕が好きなの」もそのうち読もうと思います。

100冊読書・004 池井戸潤「不祥事」

1年で100冊読むにはある程度ハイペースで読まなければ冊数が間に合わない。という焦りのもとで家にあった本を適当に手にとった池井戸潤。世のお父さんがたの人気者(イメージ)。ドラマ「半沢直樹」はわたしもすきでした。

職業小説、という言い方が合っているか分からないが、銀行マンの仕事が細かく、しかし分かりやすく、そして娯楽性をもって描かれていて、軽快にページは進み、そりゃあドラマ化もされるだろうという納得感であった。
ただし、なんだろう。作品全体から漂う「ナイスミドル感」のようなものがあって。それは人物の形容の仕方であるとか、挟まれるジョークの質であるとかだと思うのだけれど、個人的にはそれが少し苦手だった。

銀行の勉強をしたいときにはまた読もうかな、池井戸潤。

100冊読書・003 乙一「暗いところで待ち合わせ」

Facebookでおすすめの本を募ったところ、サキちゃんが薦めてくれた小説。サキちゃんは、東京に来て初めて出演したお芝居の共演者で、いまは結婚してベトナムにいます。顔が丸くてぷにぷにしていて可愛いひとです。

「カタカナの正体」が難しかったので、次は読み易いものにしようと決めていて、本屋さんをぷらりとしていたら目に止まったのでこの本にした。乙一作品は何冊か読んでいるけれども、「弁顕密二教論」とか「毘盧遮那仏」とかきっと出てこないし。

「暗いところで待ち合わせ」は、警察に追われている男が目の見えない女性の家にだまって勝手に隠れ潜むという内容で、何というか、最低限のリアリティーで構築されたロマンティックな話だった。

孤独と諦観は万能。と、時々思うことがあるけれども、万能な人生はやはりつまらなくて、不安定さのなかにこそ大きな喜びはあるなあと思う。しかし、何かを期待して他者と関わり、思うようにいかず深く傷付くというのは、やはり怖いことであるし、自分を守るために周囲を切り捨てるというやり方をわたしは完全には否定できない。むしろそう出来たらいいとさえ思う。

でもやっぱりね。この本を読んで、コミュニケーションというのは人間にとって抗い難い快楽であって、もう、そういう仕様になっているよなあと改めて、思って。恐ろしいような哀しいような、複雑な気持ちになった。

100冊読書・002 山口謠司「カタカナの正体」

これも前に買って読みかけだった本。タイトルに惹かれて、カタカナの正体を知りたくて、買ったのだけど。なんとまあ読むと眠くなってしまって放置していた。

カタカナの発生、その必然性を辿るのに、奈良時代の信仰や宗教の歴史、最澄や空海が遣唐使として中国に渡ったエピソードまで遡るわけなのだが、いかんせん仏教の書物を引用しまくっているから読めない漢字が並ぶ並ぶ。読み進めるのに気合のいる本であった。
しかし何となくコツを掴めば、それはまさしくカタカナの正体に迫るドキュメンタリーであって、時折挟まれる筆者のロマンティックな推察(最澄と空海の運命の描き方がほんのり劇画調で笑った)もあいまって面白く読めた。

わたしは日本が好きだし、日本語という言語がとても豊かで美しいと感じている(日本語以外の言語をさほど話せないが)のだけど、言語というものが、コミュニケーションの作法を具現化したものであるとしたら、カタカナの存在こそ、その豊かさの本質なのかもしれないと思った。でもだからこそ、カタカナの扱いには慎重でいたいなとも思った。

がんばって読んだ甲斐あり、カタカナの正体、わりと掴めたように思います。